作家・重松清が迫る! 蓮舫との120分ロ

レイチェル・マクアダムスはこのほど、インタビューで、ワーストドレッサー賞に選ばれてもかまわないという姿勢を見せた. レイチェルは、ロンドンで行われた新作映画『恋とニュースのつくり方』(2月25日日本公開)のプレミア試写会で「レッドカーペットイベントは難しいものではなく、楽しいものよ. まわりが何を思うかを気にし始めたら、頭がおかしくなるわ. だから私は、自分が着心地がいいものを着るの. その上で、それがもし他の人も気に入ってくれる素敵なドレスだとしたら、それはボーナスのようなものよ」と語った. レイチェル・マクアダムスは、同映画でハリソン・フォードと共演している. 「お気に入りの俳優は? 」という質問には、「素晴らしい俳優は沢山いるけど、個人的にはジョーン・キューザックが大好きよ. いつか彼女と共演してみたいわ」と答えた.

作家・重松清が迫る! 蓮舫との120分ロングインタビュー(1)はこちら 作家・重松清が迫る! 蓮舫との120分ロングインタビュー(2)はこちら ─蓮舫さんは、民主党が野党だった時代の政策決定機関の「ネクストキャビネット」では少子化担当でしたよね. R はい. 少子化もやっていましたし、年金もやっていました. ─でも今は、事業仕分けイコール蓮舫さんっていう一面的なイメージがある. 本当はもっと家庭や教育など、ほかに見据えているものがあるように思うんですが、それは不本意ではないですか. R 私の発言のインパクトも含め、仕分け人イコール蓮舫、になっているのは仕方ないと思います. それだけこの国の政治と中央省庁のお金の使い方に対する不信感が強かったんだと思います. 目に見えるという意味で、事業仕分け政権交代の象徴であり、衝撃度が高かったんですよね. だって蓋を開けてみたら「なんでこんな仕事にこんな予算がついて、なんでこんなに天下りばっかりなの!?」というのものがあまりにも多かった. 公益法人で仕分けをしてみたら、運転免許の書き換えでもらっている教則本が、実は税金で作られていた、しかもその製作は代理店に丸投げで毎年10億円の利潤が出ていた、なんて. 皆さん、仕分けをしてみないとわからなかったと思います. ─でも、普天間の問題も含めて、そういうものは、全部自民党時代からのものでしょう. 僕はね、政権交代のあとのスタートが早すぎたと思うんですよ. 「今はまだ、前の政権の負債を一生懸命やっている最中で、これが終わらないとスタートできないんだよ」とアピールしたほうがよかったのではないかな、と. R そこはやはり、きっと慣れていなかったんです... 民主党が. どれだけイメージトレーニングをしても、政治は現実のものですし、待ってはくれません. 蓋を開けたら9兆円の税収不足で、自分たちのマニフェストをやろうにも「金がない! 」「ほとんど使われていた! 」. もう少し手慣れたやり方がなかったのかと言われたら、その可能性はあったかもしれませんが、それでもこの政権は、全力で頑張ってきたと思います. ─新しい政権のおかげで、若い人たちと政治との距離は縮まったと思われますか? それともまだ足りない? R 少なくとも私の影響はあったと思いますし、距離も相当縮まったと思います. それをもっと縮めるために、どうするか. そして距離の縮まった人たちを離さないためにはどうするか. この二つが必要になってくると思います. ─そのために今、何か考えていることはありますか. R 私がトップスピードで走り続けるしかないのだと思います. 誰もが私みたいになれるようになるまで、それくらいまで頑張りたいと思います. ─トップスピードで走り続けちゃうと、当然向かい風もいっぱい受けちゃうと思いますが(笑). R いやあ、風は相当激しいでしょうし、気がついたら壁にぶつかっている、ということもあると思います. でも風はいつか止みますし、追い風にすることもできますし. 壁があったら登ればいいと思っていますから. ─議員として考えた場合に、蓮舫さんご自身の支持層は男性、女性、どちらが多いという実感がありますか? R 仕分けをやってからは特に、若年層の女性の支持がものすごく高くなっています. 渋谷のスクランブル交差点前で街頭演説をするという企画をやったときに実感したのですが、ギャルからOLのお姉さんまで全員立ち止まる政治家というのは、私しかいない、と. そして彼女たちに届く言葉を私は持っていると思います. ─蓮舫さんには、ジャーナリストとしての立場から日本や社会について発信するという選択肢もあったと思うんですよ. そんななかで、あえて政治という現実の生臭い世界に移った、一番の理由って何だったんですか. R 一番の理由は、不況です. そしてその不況が何を直撃したかというと、私のいたテレビメディアだったんです. どこのテレビ局も最後の最後まで矜持を持ってドキュメンタリー番組を作りつづけていましたし、ニュースも手作りでしっかりやっていました. ゴールデンタイムにドキュメンタリー番組を編成する挑戦心もありました. でも結局それでは視聴率が取れずスポンサーがつかなくなって、どんどん予算が削減されて、局の色もなくなってしまった. そんな状況のなか、ちょうど私が産後復帰したころに、栃木県黒磯市で中学1年生の男の子がバタフライナイフを使って教諭を刺殺するという事件がありました. 重松さんも非常にご関心の高かった事件だと思います. ─確か、98年ですね. R 私はあの事件を追うドキュメンタリー番組を制作するため、1週間近く黒磯市に滞在して、少年が見ていた景色を毎日見たんです. 彼の登下校の道を、プロデューサーと毎日、毎日、一緒に歩きながら考えたんです. 「彼の闇はなんだったのか」と. 取材を続けるうちに、彼の置かれている環境、挫折、そして逃げ場のない思い... 本当にいろんなものが見えてきたんです. でもそのとき、多くのテレビでは「バタフライナイフはどこで買えるか」「その語源は何か」といったものや、少年についての画一的な報道ばかりが流れていた. そのとき私は黒磯市で、まったく別のことを考えていたんです. 「この国は、地方がおかしくなっている. 景色がおかしくなっている. 人工的になっているし、生活感がない. 子どもに頭で考えさせない社会になっている」と. 子どもたちが目を合わせない、語ろうとしない. その確信を持ったのは、駄菓子屋の中に入ってお店の人と話すことすらを避けようとする子どもがいる、と取材中に聞いたときでした. コミュニケーションができない子どもが学校に行くと、教室にいるのが辛くなる. 保健室も最近では混んでいて、そこでも居場所がなくなる. そうすると、最終的には自室に引きこもるようになる. 不登校や引きこもりの問題の因果関係は、子どもと親だけの問題ではなくて、その責任は町にあるし、地方自治にあるし、それは政治のせいだと思ったんです. ドキュメンタリーって、そういった問題を、権力監視機関として世の中に訴えることのできる、テレビ局が持つ唯一の武器だと思っていたんです. でもニュースは今どんどん短くなっていく. そしてドキュメンタリー番組さえもなくなったとき、テレビメディアは終わる、と私は思いました. 私はこんなテレビを通してでは、この先、子どもたちを啓蒙したりすることや、世の中に問題意識を持たせることは、もうできない、と. そんなとき、現在の官房長官の仙谷代議士にお声かけをいただいたんです. いろいろなやりとりをしたなかで、仙谷さんから「子どもの問題は、もう"中"でやったらどうだ」っていう言葉をいただいて. それが私の琴線に触れたというか「じゃあ、"中"に入ろう」と素直に思った一言でした. ─では、政治の中に入ってみたら、やっぱり見えてくる風景は変わりましたか. R "中"に入ったら入ったで、いわゆる官僚は柔軟に対応できない人たちなんだということも学びましたし、政治も柔軟なものではないということも学びました. 政治が、動かない理由もいろんな意味でわかった. 法律を作るのに、やはり1年はかかるわけですよ. どんなに児童虐待の問題があっても、児童虐待法は5年おきにしか見直しはされないし、あるいは見直しをして法律を公布しても、それが実際に周知徹底して動くまでに時間がかかりすぎる. 本当にその法律を一番知ってほしい国民に声が届いていない. だから私は、政治は言葉だ、と. 子どもたちにもわかる言葉で伝えられる力というものが、今、新しく政治家に求められているものだし、私は、そうなりたいと思っています. ─僕はね、DV法こそ、子どもたちが知るべき法律だと思うんです. いま虐待されている子どもたちに「今のあなたを救ってくれる法律があるんだよ」というのをなんとかして教えてあげたいんだけど、どうしても届かない. R 届かない. 本当に、届かない... . ネグレクト(育児放棄)を受けているお子さんは、お腹がすいているんですよ. そういう子たちは、コンビニに行くと、その場で開けて食べちゃうんです. お腹がすいているから. そして店員はそれを万引きだと言う. でも、もし、その店員さんに知識があったら... 通報先は警察ではなく児童相談所なんです. 警察に連絡がいってしまうと、それは負の連鎖にしかならない. もしコンビニの店員さんが「この子の身体にアザはないか」と思えたら... . こういうことはできないか、というのはずっと野党時代に提案してきました. 届かせるべきところと、政策を普及する場所が違っている、と. 区役所に児童虐待防止のポスターを貼って、誰に何の効果があるのか. 図書館にそれを貼って何の効果があるのか. それでは意味がまったくないんです. こういうことから、私たちは変えていきたい. 私が与党になりたい、と思うその源泉はすべてそこにあります. (以下、つづく) フルバージョンは、11月号で! VOGUE NIPPON (ヴォーグ ニッポン) 2010年 11月号 [雑誌] コンデナスト・ジャパン(2010-09-28) 販売元: Amazon.co.jp. 仏版VOGUE編集長カリーヌ・ロワトフェルドの娘ジュリアが、ランコムのスプリングシーズンにおけるメイクアップコレクションのキャンペーンに登場するようだ. 彼女が契約しているのは、ローレン・スコットとのコラボレイションライン「UltraLavande」で、撮影はマリオ・テスティーノが担当するという. ジュリアがキャンペーンに登場するのは今回が初めてではなく、これまでにマンゴやギャップ、ロック&リパブリックなどの広告でモデルを務めた経験がある.